一発目の武器はグロスフスMG42.
WWU中、ドイツ軍が使っていた汎用機関銃。プレス加工を用いた高い生産性、劣悪な環境でも稼動する堅牢性、毎分1,200発以上という高い発射速度と、それを支える銃身交換の容易さ。 もうね、優秀この上ないってほど優秀な銃です。 一部改良を加えられながら、ドイツはじめ幾つもの国で、いまだ現役として使われていることがそれを証明しています。 |
わたしが初めてMG42の名に触れたのは、記憶にある限り、「丸」という雑誌の付録を読んだ時でした。 『第2次大戦 ドイツ陸海空軍装備大事典』という100ページほどの冊子。 少ないページ数ながら、様々な兵器のことが解説されていて、何度も読み返したものです。 ただ、この本に触れていたのは、わたくし幼少の頃。軍事少年が持っていた関心の割合は、艦船五割、航空機三割、戦車・装甲車一割、その他一割というところ。 銃などの小火器はその他に入るのですが、お子ちゃまだったわたしとしては、ワルサーやルガーなど有名な拳銃には目が向いても、機関銃となると”ふーん”で終わってました。 |
MG42のことを良いなと思ったのは、かなり後になってから。 きっかけは、1991年の「ケルベロス-地獄の番犬」という映画。押井守氏原作の『ケルベロス・サーガ』と呼ばれる作品群の一つ。 作品によって細かい差異はありますが、基本的に、日本・イギリス同盟とドイツ・イタリア枢軸側との間で戦争が発生し、結果、ドイツ軍に占領された日本を舞台にしたお話です。 ちょっと長いですが、以下、Wikipediaより。 --------------------------------- あの決定的な敗戦から数十年、第二次世界大戦の戦敗国・日本。戦勝国・ドイツによる占領統治下の混迷からようやく抜け出し、国際社会への復帰のために強行された経済政策は、失業者と凶悪犯罪の増加、また、セクトと呼ばれる過激派集団の形成を促し、本来それらに対応するはずの自治体警察の能力を超えた武装闘争が、深刻な社会問題と化していた。 政府は、国家警察への昇格を目論む自治警を牽制し、同時に自衛隊の治安出動を回避するため、高い戦闘力を持つ警察機関(いわゆる警察軍)として「首都圏治安警察機構」、通称「首都警」を組織した。セクトとの武力闘争の中で首都警は重武装化の道をひた走り、中でもドイツが戦時中に使用した動甲冑「プロテクトギア」に身を固め、MG34などの重火器で武装した首都警警備部特機隊、通称「ケルベロス」の名は犯罪者やテロリスト達を震え上がらせた。 しかし、行き過ぎた武装化は国民の反発や自治警・公安部などとの軋轢を招き、特機隊は次第に孤立を深めていく。そして、歴史は彼らに重要かつ最終的な役割を与える事となった。 (引用おわり) |
簡単に言うと、過激派組織に対抗して作られた超過激な警察組織が瓦解する話。 更に簡単に言うと、プロテクトギアというドイツ軍マニアが考えた鎧を身に着けた登場人物が、暴れたり暴れなかったりする話と言えましょう。ドイツ軍好き、滅びの美学好き、押井氏の辛気臭さ好きには堪らん要素満載です。 わたし的には、動甲冑のデザインがツボにはまりました。 「ケルベロス-地獄の番犬」のクライマックスで、主人公がMG42で敵を蹴散らすシーン。サーガ中の後続作品「人狼 JIN-ROH」で、特機隊がMG42を一斉射撃するシーン。 破壊の権化のようなプロテクトギアと、特機隊の面々が構える長大なMG42が、強烈な印象をわたしに残したのでした。 |
じゃあ、プロテクトギアってどんなの? という疑問にお答えするべく、写真載せときます。タカラ社製の1/6フィギュアです。 作品が変わる度にデザインがころころ変わり、大人の事情で主武装もMG34だったりMG42になったりするギアさんですが、わたしが最も好きなのがこのバージョン。フィギュアオリジナルデザインです。 もうね、痺れますわ。 クルシファイと比べてみて、共通点あると思いません? ショルダーアーマー=肩の膨らみ 腕部アーマー/楯=カフス 腰部アーマー=スカート、エプロン 胸部アーマー=でかいおっぱい これで、わたしがヴァンパイアの如き真っ赤なカラコンでも付ければ、完全一致になると言っても過言ではないでしょう。 うちには他にもギアさんがいるので、ついでに紹介しちゃいます。 右端はさっきのギアさん。左端は、同じタカラ社の女型ギアさん。真ん中はドラゴン社製の地獄の番犬版ギアさん。真ん中の人には、わたしなりにカスタム入れていて、素の商品と比べるとかなりカッチョよくなってるんじゃないかな、と考えております。 |
ケルベロス・サーガに触発されて、MG42に多大なる興味を持っていたわたしの前に現れたのが、松栄製作所のエアーガンMG42。写真に写ってる奴です。 製作者の情熱と手作り感に溢れる一品であり、お値段もそれなり。 これまでの人生の中で、最も可処分所得の多かった当時のわたしでなければ、カタログを眺めるだけで終わっていたでしょう。 いきつけのガンショップで注文してから、納品まで長いこと待たされたなあ。馬鹿でかい箱を抱えて、天王寺から堺の秘密基地まで持ち帰ったのを今でも覚えてますよ。 ナイス決断当時のわたし。ウェルカムMG42! |
2013.6.1 |