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なんか参照ばかりでごめんなさいね。ここからの続き、ラスボスです。 ネグリジェで寝て、起床して着替えました。これから一日が始まるってところ。 以下、ネットに漂ってるであろうツッコミを汲み取った想定問答集。 Q1 「まだ真っ暗やん」 A2 「この時点の時刻は4時50分。しっかり朝です。冬なので暗いだけ」 Q2 「寝てるやん」 A2 「着替えとメイクでひと仕事したし、ちょっと一服しただけ」 Q3 「ラスボスにしては地味」 A3 「縦縞セーターのおっぱいの威力を馬鹿にするな」 はい、納得できましたか。 普段着〜スーツ〜下着と、様々な衣装を着ることが出来て、慌ただしくもありながら楽しい一日でした。女装祭りのラスボスに相応しいボリュームのネタとして、ここでわたしの女装歴を振り返ってみようと思います。 |

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わたしの女装の始まりが、中学生の頃だったことは、以前書きました。 では何故、女装をすることになったのか? もちっと心の中を深堀りしてみましょう。 中学生といえば、思春期真っ盛り。わたしは他の子よりやや早熟だったと自認しており、小学生の頃にはかなり異性を意識していました。ただし、うちの家はけっこう堅苦しくてですね。エッチな本やビデオなんて、目にしたことが無かったし、存在することすら認識していませんでした。 そのくせ、中一の時に、ある女子から告白されたことがあったものの、にべもなく断ったりして。で、その子の友達からキツーく攻められたり。 異性を撥ねつける内向きな性格ながら、性に飢えているという、そんな男子だったのです。 人として何かが欠けていたんじゃないかな〜と思います(今でもね)。 悶々とした生活を続けていたある日のこと。わたしの目に飛び込んできたものがありました。母の水着です。 正確には、母の水着を着た従姉弟のお姉さんの姿。母は年齢の割に可愛い水着を持ってまして、わたしが小学校高学年になる頃にはもう着ることはなかったのですが、水着のことを知ったお姉さんが、それを貸してくれと言ってきたのでした。 そして、その水着を着た際の写真を見る機会があったというね。 ゾワゾワーッときましたよ、ええ。 従姉弟は小さい頃から遊んでいた身近な存在でしたので、彼女本人に惚れるというよりかは、”ナイスボディな女性の水着姿” に惹かれたと言えるような。 違いわかります? 水着イイな〜水着ドキドキするな〜と思っていた男子が成長するに連れ、家の中の何処にどんなものがあるかを把握するようになり、 思い至ったのが、「家の中にあの水着あるやん」だったと。 両親が寝入った頃を狙って、母の箪笥を開いてみれば....ありましたよ、ありました、あの水着。 それを手にしたわたしの頭に閃いたのは、 「着てみたい」。 はい、この瞬間から、わたしの変態道が始まったのでした。 |

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母の水着はワンピースタイプでした。 はるか昔のことですので、それに脚を通した時の気持ちを正確に表すことはできません。 ただし、以降何十年と続く女装活動につながったのですから、わたしの生き方を一変させるほとのインパクトがあったのは確か。 「内宇宙のビッグバンや〜!!」(彦摩呂の声で) 水着は成熟した女性そのものであり、それを身に付けるのは、女性と身体を重ねるのと同義。同年代の女の子と積極的に交われなかったわたしが、自分自身が女になることで、性の欲求を満たしたのでした。水着着たまま射精しましたしね。後先考えず。 ”初女装”イコール”初体験”イコール”初セックス”であったと言えましょう。 その後も女装は続けました。 母はお洒落さんだったのか、綺麗なボブカットのウィッグを持ってまして。きちっとケースで保管していたのです。また、靴箱の中に、わたしが履くことができそうなパンプスも発見。 それらのアイテムと水着を着用して、家の外に出たこともありました。勿論、周囲に誰もいないことを確認の上で。 いやあ、ドキドキした〜。 玄関前の極々狭い範囲を極々短時間うろつく程度でしたが、気分はめっちゃ大冒険。 そして、部屋に戻って射精でジ・エンド。 でもですね、外出はやっぱり危険が大き過ぎるということで、何度か試した後にやめました。もしものことが起こると、人生棒に振ることになりますから。 屋内女装に注力するようになってからは、水着以外の衣装に触手を広げていきました。 ショーツやパンストを穿くようになり、ブラスリップを身に付け、更にスカートやセーターも。 さすがに知識がないので、メイクには殆ど手を出しませんでしたが、口紅だけは塗り塗りしました。 着替えで夜中にごそごそする時間が長くなると、さすがに気配や物音で親に気付かれてしまいそうなので、女装する時間帯も変えました。真っ昼間に、です。 母は朝から夕方まで、パートで働きに出てまして。勿論、父も仕事で家にはいない。 そういう時間を有効活用したわけです。 ただし、母の職場は自宅からめっちゃ近くてね。普通に歩いて1〜2分! なんとなんとですよね。ふと思いついたら、一瞬で家に戻って来られる距離。 実際、やばいシーンもありました。 女装中に、玄関がガチャガチャ鳴るのを聞いた時ときたら。 歌舞伎もびっくりの早替わりでピンチを凌ぎましたけど。中学生じゃなければ、あれだけ敏捷には動けなかったでしょう(体育会系で身体は鍛えてましたので)。とにかく、あらゆるものを押し入れに詰め込みましたさ。 母は短時間でまた職場に戻りましたが、その間の会話は完全にうわの空でした。 もし母に洞察力があったなら、もし押し入れを開けられていたなら、どんな親子関係になっていたでしょうねえ。 ということで、夜中の女装とは別の意味で、緊張感のあるイベントを楽しんでいたのでした、はい。 |

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そのような女装ライフにやがて、革命的な要素が加わりました。”縛り”です。 女装開始よりも前、小学校高学年の頃。クラスメイトの男子が、なにを考えてか自分の両膝をベルトで括っているところに出くわしたんです。 ゾクゾクーッときました。縛る側でなく、縛られる側としての立場として。 じーっと見つめることが憚られた為、すぐに目を離したのですが、あの時の彼の姿はこれからもずーっと忘れないです、きっと。 それにしても、あのゾクゾクは一体なんだったのか。 生来の気質にスイッチが入ってしまった? 多感な年頃であり、元からスイッチが緩々になってた? 『縛られたい』 ともかくその時以来、拘束への憧れが、心の奥底で燻ることになったのでしょう。そしてその燻りが、女装を始めたことによって膨れ上がった欲情に刺激されて、炎となって噴出したのでしょう。 またもや母の箪笥から、適当な紐やベルトを取り出して、手足を縛りました。 出来るだけ拘束感を高める為、色々な縛り方を試しました。 ガムテープも大変役に立ちました。身体をテーブルに固定したり、口を塞いだり。口を覆うようにテープを何重にも貼ると、テープの臭いがプンプンしてさ。決してイイ匂いって訳ではないけれど、慣れれば癖になるというか。自分が非日常的なシチュエーションにいることを、強く感じさせてくれたのでした。 女装をファーストインパクトとすると、自縛はセカンドインパクト。ふたつ合わせて一本! まさしく変態道一直線であります。女装地獄車!! |

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このような、捻りを加えたバックドロップ、じゃなくって、縛りを加えた女装ライフは高校卒業まで続いたものの、大学に進学すると休業状態に。完全停止です。 理由は、 ・勉学、倶楽部、アルバイト等で忙しくなった。 ・自由に使えるお金が出来て、女装以外の趣味が広がった。 ・手軽に自慰する手段を開拓した。 というところですね。 さーて、女装を止めちゃった、わたし。 このまま非変態として生活し続けるのか、はたまた変態に戻るのか。一体どうなっちゃうのでしょうか? |